October 01, 2016

東の果てから、西の果てアゾレス諸島へ。


 思い立って、ちょうど1年ぶりに旅らしい旅に出かけてきました。行き先はポルトガル領アゾレス諸島。首都リスボンから北大西洋上に飛行機で2時間ほど、人が住む9つの島とその他の岩礁からなる火山群島です。噴火でできた丘陵やカルデラ、盆地や湖など変化に富んだ地形が興味深く、ヨーロッパ旅行中の友人Sがアゾレス諸島に滞在している時期を狙って、これ幸いとばかりに一緒に旅行してきました。

 上陸したのはサン・ミゲル島とピコ島。


 サン・ミゲル島は9つの島の中では面積最大(759.41平方km)、人口も最大(約15万人)の島です。ヨーロッパ各国のみならず、北大西洋の対岸のアメリカ東海岸からも空の便があり、アゾレス諸島の拠点となっています。


 アゾレス諸島がヨーロッパ人に最初に発見されたのは西暦1427年、群島の全体像が知られるようになったのは15世紀の中頃のこと。しかし、北大西洋の真ん中、北米大陸からも欧州からも離れた場所にありながら、覇権を争う各国の世界史の波から無縁でいることはできず、16世紀から17世紀にかけてはカスティーリャ王国(後のスペイン王国の中核)の部隊が駐留し、英国やマグレブ(北部アフリカのアラブ文化圏)の勢力などと対峙していたとのことです。


 すでに15世紀には小麦の生産が始まり、一時はヨーロッパ本土への一大供給地となっていましたが疫病で壊滅、大青(植物染料)、オレンジ、とうもろこし、茶葉、ブドウ、パイナップルなどの生産に移り変わっていきました。それが19世紀にはまたオレンジ、ブドウが疫病でやられたそうで、現在は観光業の他は牧畜、林業、漁業が盛んなように見えました。


 林業で植林されているのは日本原産の杉。その他にも日本原産のアジサイがサン・ミゲル島中で見られ、日本から遠く離れているのにどこか既視感のある景観が広がっていました。しかし島の中部にはアゾレス原産種の植物で覆われた森が保護されており、巨大なシダ類や奇妙な枝ぶりの大木が繁茂して、映画ジュラシックパークのセットのような姿を見せています。


 火山島で、人が住み始めてからも何度となく噴火を繰り返し、狭い範囲内でも異なる成分の溶岩が分布しているので、吹き出す温泉も泉質が多様だそうで、こんな茶色い温水プールもありました。





現在、サン・ミゲル島で最大の町、ポンタ・デルガーダ。どの町も教会を中心に拓かれていますが、さすがに中心地のポンタ・デルガーダ、海沿いは漁港や大型客船の着く桟橋、ヨットハーバーがあり、レストランやカフェ、バーなども数多く、さらには行政機関まで立ち並び、観光客と地元の人が夜遅くまでそぞろ歩いておりました。


 サン・ミゲル島からさらに飛行機で小一時間。富士山にも似た孤立峰の火山・ピコ山が印象的なピコ島です。ピコ山はポルトガル共和国の最高峰で標高2351m、日本人が移住していたいたら必ずや「アゾレス富士」と名付けたに違いない姿です。


 山麓には火山岩を組んだ壁にブドウの木を這わせる独自な形態のブドウ畑が広がり、その景観はUNESCO世界遺産に指定されています。ブドウ畑の溶岩壁は、一説によると地球2周分にもなると言われるそうですが、きっとまだ誰も正確には計った人はいなんじゃいないかと思いますよ。過去にはブドウの疫病が蔓延し、生産量が大きく減少したこともあったそうですが、国が補助金を出してブドウの生産を奨励し、新規のブドウ畑の開拓も進んでいました。
 土が乏しいので、溶岩を積んだ壁に隣のファイアル島から持ち込んだ土を入れ、そこにブドウの苗を植えるそうです。黒い溶岩は陽の光を吸収して温かく、水はけもよいのでブドウの根もよく伸び、ワイン造りに好適な甘いブドウが収穫されて、ピコ島はワインの産地として有名です。糖度の高いブドウから造られるワインは甘口で、食前酒や食後のデザートワインとして楽しむのがよさそうです。


 またこの島は捕鯨の島としても知られていました。1985年までマッコウクジラの捕獲と加工を行っており、当時の面影を残す工場や港湾施設が残っています。
 ところがピコ島はきっぱりと宗旨替えをして1987年以降はホエールウォッチングの島として売り出し中。未だに捕鯨を続けている日本国民としては発言に注意を要するところです。

 季節になればマッコウクジラだでなく各種のクジラが回遊してくるし、イルカは通年で島の周りにいて、時にはシロナガスクジラも島の近くに寄ってくるとのことでした。

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 世界遺産にも登録される独自の美しい景観を誇るブドウ畑とピコ山。ホエールウォッチングやスキューバダイビングも楽しめ、ヨーロッパやアメリカからの観光客を数多く受け入れるアゾレス諸島ですが、ポルトガル本国の経済が芳しくないこともあり、経済はなかなか厳しいとの話もありました。生活の質(QoL)は高いと地元出身のガイドさんも言っていましたが、現金収入の口が少なく、出稼ぎに出る人も少なくないとの話でした。言われてみれば平日昼間からいい年頃の男女が何をするでもなく町中で遊んでおり、また一歩裏手に入れば日雇いの仕事を求めて寄せ場に集まっている男たちの姿があり、この世の楽園とはいかない現実も見え隠れします。

 町は美しく、道路も人口に見合わないほどよく整備されているのですが、これも裏を返せば公共事業が隠れた主要産業であることの証左なのでしょう。職業訓練校や研修施設が目に付いたのも、働き口が少ないことの裏返しかもしれません。

 どこか、日本の八重山諸島の暮らしを思わせる構造がありました。八重山諸島は石灰岩、アゾレス諸島は溶岩を使っていますが、島の景観も似たところがありますし。八重山が日本でありながら本土の暮らしとは違う独自の文化を持つように、アゾレス諸島にも欧州、ポルトガルでありながらそこともどこか違う、アゾレスとしての独自のアイデンティティがありました。

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 機会あればぜひ、行く価値はある場所です。ヨーロッパ本土に比べれば物価も安く、シーフードを中心に食べ物もおいしいし。ただ正直、日本からは遠いです。日本からの観光客はどこでも珍しがられましたし、「地球の歩き方」でもアゾレス諸島全体で1ページ。なかなか思い切りがつかない場所ではありますね。

 旅に出るのは、日常から離れてすごい景色を見たり、心地よい天気の下でのんびりしたいというのもありますけど、違う土地に違う暮らし、違う歴史があることを見ることも大事な要素だと思います。自分の暮らしを相対化するとでも言いましょうか。
 仕事で海外出張もあったりして、旅に出るは腰が重くなりがちなんですけど、やっぱり、時には旅にも出ないといけないなあと実感するアゾレス諸島でした。


May 30, 2016

3年、5年、10年。


 きら星のごとく現れるアーティストやアスリートがいます。画期的な研究成果で注目を浴びる学者もいます。そこまで派手じゃなくても、それぞれの分野で成果を得て、その活躍が世に知られるようになる人もいます。

 そんな人たちの経歴を見ると、3年前、5年前、10年前から努力を重ね、模索を続け、あるいは何か大きな決心を持ち続けていたりします。

 そのとき僕は何をやっていたのか? 3年前、5年前、10年前に、彼ら、彼女らがその最初の一歩を踏み出した時、僕は何をやっていたのか?

 3年後、5年後、10年後にはきっとまた新たなヒーローが現れます。何か大切なことを成し遂げ、またあるいは大きな業績を上げる人が出てきます。

 将来ヒーローになる人たちは、今日、そのスタートを切っているかもしれない。焦っても仕方のないことだけど、僕はこれでいいのか?何かスタートを切って走り始めているのか?またそんなことを自分に問いながら、今日も一日が過ぎていきます。

April 10, 2016

やるなら、それなりに。

とあるジムの会員になっています。

しばらく会員になっていると、話はしないけど、ときどき見かける人っていうのがいらっしゃる。

で、基本的な種目のトレーニングを正しいフォームで、きっちり真剣にやっている人が、ちょっとの間に「あれ?」って思うほど体が変わってることがある。

一方で、よく見かけるんだけど、基本的ではない種目のトレーニングや我流のトレーニングで時間を費やしていく人で、いつまで経っても怠惰な体型のままっていう人も結構いらっしゃる。

ジムに通う理由は人それぞれなので僕がとやかく言うことではないですけど、同じ時間を費やしても、結果が出る人とそうでない人がいらっしゃる。

この差って、体づくりのトレーニングに限らないよなと思ったわけです。練習に同じ時間をかけても、取り組み方次第で結果は全然違う。

人生の長さは有限。結果を出したいなら、結果が出る方法でやりたいね。まして、僕はもう人生折り返し点を超えてるしね。

January 31, 2016

誤差、揺らぎ、隙、不完全さ。

大手食品メーカーがテレビでCMを流しているようなものって、好き嫌いは別にすれば、美味しい。綿密なリサーチをして、研究を重ねて注意深く調整された味で、間違いがない。
それでも、ビストロの料理人が作る味や家庭料理の味にしばしば負ける。食品メーカー製の味が整い過ぎているからだと思う。


CGを駆使した映像は、どこまでも精緻に、時間をかけて製作されたものであっても、大抵はCGだと分かる。リアルさではロケで撮られた映像に敵わないことが、ままある。CGが完璧過ぎるからだと思う。現実世界には存在する不完全なところがないからだと思う。


オペラ歌手の歌声はすばらしいけれど、童謡はオペラ歌手に歌ってもらうより、子供たちが歌っているのを聞いたり、子供たちのために親や祖父母が歌い聞かせているのを聞いたりする方が、胸を打つ。オペラ歌手の歌声が整いすぎてるからだと思う。


三味線の音には「さわり」と呼ばれるほのかなノイズが乗っていて、それが味わいになっている。音叉の出す純粋な音にはない、わずかな不完全さが三味線の楽曲の世界を豊かなものにしている。


映画「攻殻機動隊」の重要なテーマの一つに「ゴースト」という概念があった。人工知能と義体技術が発達して、人に限りなく近いアンドロイドを造ることができるようになっても、最終的に人とアンドロイドを区別する「差」のようなもの。それは人の意識が内包する不完全さ、誤差のようなもので、人間らしさの由来とされている。


そんな誤差、揺らぎ、隙、不完全さを愛したい。大げさに言えば、そこに生きていることのリアリティがあるような気がする。